復学支援を選んだ体験談のカテゴリ記事一覧

中学生で不登校になった息子のその後です。不登校になった子も大丈夫!

カテゴリ:復学支援を選んだ体験談

復学支援を選んだ体験談のカテゴリ記事一覧。中学生で不登校になった息子のその後です。不登校になった子も大丈夫!
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2014-06-09復学支援を選んだ体験談
不登校の対応には、いろいろな道があります。我が家は、復学支援を選びました(復学支援を知っていますか?)他の方は、どうでしょうか。みなさん、いろいろな道を探されています。そして、復学支援を決断された時のお気持ちはいかがだったのでしょうか?本記事は、『再登校のお話はいつ聞いても嬉しいです。おめでとうございます』の記事にいただいた内容とコメント、そして不登校中の様子のお話をまとめたものです。今、不登校で...

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2014-05-26復学支援を選んだ体験談
前回の記事に続いて、もうお一人再登校をされたpiyoさんからメッセージをいただきました。tamiさんの翌週、再登校されたと聞きました。(先生のお忙しいのも納得です。)piyoさんは、このブログの記事にコメントをいただいたことからご縁をいただきました。中2の3学期から体調不良があり、piyoさんもいろいろな道をさがされました。中3の4月にFHEで支援を受け再登校されました。現在は継続登校を頑張っておられます不登校の対応...

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2012-01-16復学支援を選んだ体験談
不登校の対応には、いろいろな道があります。我が家は、復学支援を選びました(復学支援を知っていますか?)他の方は、どうでしょうか。みなさん、いろいろな道を探されています。そして、復学支援を決断された時のお気持ちはいかがだったのでしょうか?くるみみるくさんは、現在中1の息子さんが小学校5年生の三学期から不登校となり、小学校6年生の1月に、エンカレッジで復学されました。再登校から1年がすぎ、その節目として他...

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2011-10-16復学支援を選んだ体験談
不登校の対応には、いろいろな道があります。我が家は、復学支援を選びました(復学支援を知っていますか?)他の方は、どうでしょうか。みなさん、いろいろな道を探されています。そして、復学支援を決断された時のお気持ちはいかがだったのでしょうか?今回、よつばさんから復学支援を決断された経緯を記事にしていただきました。よつばさんは、現在小6の長女さんが、小5で不登校になり、その1ヶ月後には小2だった次女さんも...

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2011-05-23復学支援を選んだ体験談
一口に不登校といっても、いろんな形があります。五月雨登校・別室登校も形は違いますが完全不登校と同じように、親として辛いものがあります。我が家は、長期の完全不登校でしたが、別室登校も難しいCASEだと感じています。ピピコさんの娘さんは、中・高一貫校に通われています。中2の9月から別室登校になり、いろいろな道を探されました。常に娘さんにとって最適な道を探し続けた結果、ペアレンツキャンプに支援を依頼し中3の...

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2011-02-14復学支援を選んだ体験談
以前に、不登校から復学支援を選んだCASE〜きのこさんの場合で、紹介させてもらったきのこさんから、高校受験の結果が届きました今年は、受験2日目が、3年ぶりの大雪でした。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜この日の雪には、次男も大喜びでした 長男は専願のため、私立の面接日でした。前日の試験のほうは友人と待ち合わせて行き問題なく終わったのですが、朝からの降り積もった雪に慌てたのは私でした 自転車でいくつもりの長男に父親に車で...

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2010-08-18復学支援を選んだ体験談
不登校の対応には、いろいろな道があります。我が家は、復学支援を選びました(復学支援を知っていますか?)他の方は、どうでしょうか。みなさん、いろいろな道を探されています。そして、復学支援を決断された時のお気持ちはいかがだったのでしょうか?本記事は、前述の『復学支援を選んだ体験談』の記事にいただいたコメントです。今、不登校で道を探されている方に少しでも参考になればと思い、ご本人の了解を得て、もう一度掲...

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2010-07-14復学支援を選んだ体験談
不登校の対応には、いろいろな道があります。我が家は、復学支援を選びました(復学支援を知っていますか?)他の方は、どうでしょうか。みなさん、いろいろな道を探されています。そして、復学支援を決断された時のお気持ちはいかがだったのでしょうか?くるみさんはエンカレッジで復学されました。長女さんは、小4から不登校。小6の7月に復学し、現在中1次女さんは、小2から不登校。小3の7月に復学し、現在小4ーーーーーー...

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2010-06-21復学支援を選んだ体験談
不登校の対応には、いろいろな道があります。我が家は、復学支援を選びました(復学支援を知っていますか?)他の方は、どうでしょうか。みなさん、いろいろな道を探されています。そして、復学支援を決断された時のお気持ちはいかがだったのでしょうか?本記事は、前述の『復学支援を知っていますか?』の記事にいただいたコメントです。今、不登校で道を探されている方に少しでも参考になればと思い、ご本人の了解を得て、もう一...

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2010-06-17復学支援を選んだ体験談
不登校の対応には、いろいろな道があります。我が家は、復学支援を選びました(復学支援を知っていますか?)他の方は、どうでしょうか。みなさん、いろいろな道を探されています。そして、復学支援を決断された時のお気持ちはいかがだったのでしょうか?本記事は、前述の『復学支援を知っていますか?』の記事にいただいたコメントです。今、不登校で道を探されている方に少しでも参考になればと思い、ご本人の了解を得て、もう一...

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2010-06-14復学支援を選んだ体験談
不登校の対応には、いろいろな道があります。我が家は、復学支援を選びましたコチラの記事→復学支援を知っていますか?他の方は、どうでしょうか。みなさん、いろいろな道を探されています。そして、復学支援を決断された時のお気持ちはいかがだったのでしょうか?本記事は、前述の『復学支援を知っていますか?』の記事にいただいたコメントです。今、不登校で道を探されている方に少しでも参考になればと思い、ご本人の了解を得...

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復学支援を選んだCASE〜tamiさん

不登校の対応には、いろいろな道があります。
我が家は、復学支援を選びました(復学支援を知っていますか?
他の方は、どうでしょうか。
みなさん、いろいろな道を探されています。
そして、復学支援を決断された時のお気持ちはいかがだったのでしょうか?

本記事は、『再登校のお話はいつ聞いても嬉しいです。おめでとうございます』の記事にいただいた内容とコメント、そして不登校中の様子のお話をまとめたものです。

今、不登校で道を探されている方に少しでも参考になればと思い、
ご本人の了解を得て、もう一度掲載させてもらっています
tamiさんはFHEで復学されました。中2の4月の復学でした。

ーーーーーーーーーーー
【tamiさんのcase 


息子は中学生になり5月にスマホをもたせlineをはじめたあたりから、lineで友人関係がうまくいかなくなったようです。
発熱・ふらつき・顔面蒼白 になるなどで学校を早退や休みがちになりました。
まだ息子の異変にちゃんと気がつかない私は病院へ連れていき3日間検査入院するも勿論異常無し。
認めたくあり ませんでしたがやっと「不登校」を認識するようになりました。
でも、なんとか学校へ行かせようと何があったのか?イジメか?原因は?と息子に尋問してみたり、
物でつろうとしたり、
怒ったり、
なだめてみたり、
あの手この手で連れていこうと必死でした。

最初は何がおこったのかわからず、このまま息子の時間が止まってしまうのかと思うと本当に怖かったです。

夏休みの間に昼夜逆転になり、夏休みの宿題をしないことで親子関係もますます最悪に。
2学期が近づくにつれ「死にたい」と言い出す息子に、もう何も言えなくなりました。

夏休みの宿題をしていないことを理由に息子は2学期から完全不登校になりました。
担任の先生の体験談から待つことをしてみたり、
病院の先生からは生活リズムをなおすためまず日光にあてましょうと言われ平日嫌がる息子を外に連れだそうとしたり、
スクールカウンセラーの先生からは 「充電期間中」と言われるも、なぜうちの子だけ充電が必要なのか?納得できませんでした。

その間もずっとゲーム。
布団に潜りイヤホンを1日中はなさず、1時間に何度も何度もトイレへ行ったり。
近所の実家に逃げた息子は祖母に「おばあ ちゃん死んでや!」と壁に穴を開け、あたりちらしたかと思えば、
深夜ベランダに出たり、目をはなせないなと思うことも何度かありました。


不登校中は転校やフリースクールなど別の道も考えたこともありますが、何か違うと思い踏みきれませんでした。
でも道がわからず日にちだけが過ぎていき、担任の先生やスクールカウンセラーの先生に会うたびに泣いてました。(先生方も相当困ったかと思います...)
母子家庭のわが家に、もし私が死んで このまま自立出来ないままだったら息子は1人ぼっちで どうなるんだろうとか毎日暗い気持ちでした。

ただ時々息子は「バスケ(部活)がしたい」と呟きます。
学校に戻りたい気持ちは伝わってきました。
不登校の間、息子は何度か学校へ行こうとしましたが、制服に着替えても、学校の門の前まで行っても 学校へ一歩も入ることが出来ませんでした。
でも、どうして良いかわからず毎日暗い気持ちでした。

そんな時にFHEのホームページを見つけました。
ここしかない!とは思いましたが、我が家には共に相談できる旦那様がおらず・・・ 
復学支援という未知の世界に少し不安でした。
そんな時にFHEに支援依頼をされて、今もブログを継続されているちゃろさんのブログに出会いました。
残念ながら我が家にはPCがないので、気になる所だけ読ませて頂いても、それだけでも決断するには充分でした。

先生方が息子に会いにはじめて家に来て下さってから再登校の日までの3週間あまり、私にはアッという間の出来事でした。

今でも、息子が先生方にお会いする2ヶ月程前の1日中ベッドの上で過ごしていた姿を思い出すと、今他の子と同じように朝登校していく姿は夢でも見ているようです。

今は毎朝、制服を着て「行ってきます」と出掛ける姿を見ると、やっぱり学校に戻ることが出来て本当に良かったと思います。
息子はなにも言いませんので学校が 楽しいのか楽しくないのか?さっぱりわかりませんが、再登校した日から毎日学校に行っています。

藤本先生はじめ支援の先生方や沢山の人に助けて頂いて せっかく戻れた学校を通して、家に引きこもったままだったら絶対に経験出来ない楽しいことや辛いことも 本当にどんどん経験してもらいたいです。
これまで、息子の失敗して考えるチャンスを沢山奪ってきてしまったので・・・。
わが家はまだまだ勉強中ですが、頑張っていきたいです☆
本当にありがとうございます






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復学支援を選んだCASE〜piyoさん

前回の記事に続いて、もうお一人再登校をされたpiyoさんからメッセージをいただきました。
tamiさんの翌週、再登校されたと聞きました。
(先生のお忙しいのも納得です。)

piyoさんは、このブログの記事にコメントをいただいたことからご縁をいただきました。

中2の3学期から体調不良があり、piyoさんもいろいろな道をさがされました。
中3の4月にFHEで支援を受け再登校されました。
現在は継続登校を頑張っておられます

不登校の対応には、いろいろな道があります。
我が家は、復学支援を選びました(復学支援を知っていますか?
piyoさんにも伺ってみました



piyoさんのCASE


FHEの支援を受けて、4月下旬に再登校することができました、中3男子の母です。

中2の1月下旬、お腹が痛いと休み治ったはずが起きてこない。
「学校は?」
「…」
無言の抵抗です。

これはおかしい、何があったのか、本人に聞いても言わない。
先生からは友達とのトラブルがあったらしいと。
でももう頑なになってしまった彼の心に親の声は届きません。
親は焦って、なだめたり、叱ったり。

「学校いかないならスマホはいらないね」
と取り上げると、見たことないような悪魔のような顔で殴りかかり、
「スマホ返さねーと死んでやる」

親はどうしてよいかわからず、心療内科、公共の教育相談に行きますが、経緯をこちらから話すだけで何ら解決しません。

本人にカウンセラーさんに会ってみたらとすすめましたが、
「ぜってーいかねー」
と断固拒否。
フリースクールや全寮制の学校、不登校に関するサイト、怪しげなDVD。
色々とみてはみるものの、これは違うと私の心がいいます。
だって、彼がスマホを抱き締めて離さないくらいに依存しているのはその先に繋がっている学校の友達がいるから。

ある日、【不登校、支援】で検索してみたら、不登校自立支援センター(FHE)がひっかかりました。
子供にダイレクトに働きかけて、再登校に導いてくださる。
「これだ!」と思いました。

しかし、うちの子の通う私立中は、色々と条件クリアしないと進級できません。
そんななかで復学支援は難しいと、経過観察になりました。

結局、息子は学校が好きで、3年生になりたい。
そのために本当に最低限ですが、やるべきことはやり、でるべき日はでました。
これは彼自身の意思です。

ここまでできるなら、なぜ学校にいかないのか親は理解できませんでした。
進級できることになり、新学期が始まりましたが、やはり登校しませんでした。
親はまた焦って行かせようとして失敗します。

ここで、支援が決定しました。
藤本先生から言われた『親は(今は)何も発信しないでください。』
これを徹底しました。
そして、ダイレクト(登校刺激)。

息子は生まれ変わったようでした。
支援の先生方と準備して迎えた再登校の日、先生方と一緒に大きな声で「いってきます!」と出発しました。


いまも朝は決して元気とはほど遠いですが、継続登校頑張っています。
まだまだ色々とやらかして、先生からは(^_^;)のついたメールをよくいただいていますが、確実に一歩ずつ進んでいます。

うちは復学支援受けられて本当によかったです。







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不登校から復学支援を選んだCASE〜くるみみるくさんの場合

不登校の対応には、いろいろな道があります。
我が家は、復学支援を選びました(復学支援を知っていますか?
他の方は、どうでしょうか。
みなさん、いろいろな道を探されています。
そして、復学支援を決断された時のお気持ちはいかがだったのでしょうか?

くるみみるくさんは、現在中1の息子さんが小学校5年生の三学期から不登校となり、
小学校6年生の1月に、エンカレッジで復学されました。
再登校から1年がすぎ、その節目として他のサイトで書かれていた日記(追記あり)を、こちらへもお願いして記事にしてもらいました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

【くるみみるくさんのCASE 】


息子が学校へ行くことが出来なくなったのは、5年生ももうすぐ終わる2月のことでした。
親子でどんなにか頑張っても学校への道は遠く遠く・・・。
もうこんなことはやめて違う道を探す方がいいのではないか・・・
2人で母子登校中、道の途中で倒れ息もできないと涙を流す息子が哀れで、そんな息子を背中にしょって歯をくいしばった日。
自分のやっていることがいいのか悪いのか、
この子の為になっているのか、苦しめているのか、
先の見えない毎日は私自身を追いつめていました。

時間だけが流れ、もうネットの検索で「ふとうこう」と打ち込む力さえ弱っていきました。
ODの診断で治療を始めても何か腑に落ちず、
次の児童精神科では小児の鬱との診断でした。

息子は処方された薬を何の迷いもなく「飲ませて」と、大きな口を開けます。
私はそんな息子の口に、白い薬を何度入れたことでしょう。
薬の大切さを自分への言い訳に・・・
大丈夫、大丈夫・・・
そう思いながらも私の手はガタガタ震えて止まらなくなりました。

もうやめよう。本当は飲ませたくない。
症状から医師は鬱だと言うけれど、あてはまらない症状を私は信じたい。
この子は、鬱じゃない!ただ何かが、何か1つボタンを掛け違えただけ・・・。

小6の夏休みが終わり小学生の楽しみの修学旅行が近づきました。
何とか少しでも修学旅行の思い出を残してやりたくて
何度も学校と打ち合わせをして、
私は息子と2人で修学旅行のバスを追って電車に乗りました。
2人で上った京都タワー、そこで息子は金色に光る金閣寺と五重塔の置物が欲しいと、小学生らしい姿をみせていました。
金閣寺でクラスのみんなと合流することに決まっていました。
その時間が近づくと息子の表情が険しくなっていきます。
でも「〇〇くんや〜、〇〇くん来た〜」と叫ぶクラスの友だちに囲まれ、肩を抱かれ、あっというまに子ども達の渦の中に消えていきました。
しばらくは距離をおいて後を付いていましたが、息子はみんなとバスに乗って宿舎に向かった様子。
私は1人金閣寺に残され、気が付けば閉園時間でした。

ホテルに戻った私の携帯に担任の先生から電話が入ったのは夜の7時でした。
「そろそろ迎えに来てください」

宿舎のロビーで待っていると、担任の先生と肩を並べ、この夏ほとんど外出していない真っ白い顔の息子が、もう何年も見たことのないような、いきいきとした顔で立っていました。
息子の瞳はキラキラとそれは美しく輝いていました。
「楽しかった〜!!」この言葉がすべてでした。
私はずっと、ずっとこの言葉を待っていました。
「本当は学校に戻りたい!!」声にならない息子の声をしっかり聴いた瞬間でした。

でも、修学旅行から戻るといつもの不登校の日常が待っていました。

1週間後に小学校最後の運動会がありました。
もちろん競技にはでられません。
でも弟も出ているし、息子は見学に行くということで父に連れられて途中から学校に来ました。

最後の運動会の見せ場、6年生の組体操・・・
クラスの保護者は皆、カメラやビデオを持って最前列に陣取りわが子の勇姿を追っています。
私はところどころの見せ場の演技に一生懸命拍手を送りながらも、子どもの演技に感動の涙を流す人たちを見ながら、みんなと喜びを共有できない大きな隔たりを感じていました。自分だけがどこか違うところにいる寂しさを感じていました。
遠くでうつむいて座っている息子もまた、そこにいる不安を身体全体で表すかのように、小さく、寂しく、哀しい存在に見えました。

もう私たち家族の力だけでは、この子を学校に返してやることは出来ないのかもしれない。
せっかく「ほんとうは、学校に戻りたい」という息子の心の声を聴いたのに、家族の力では空回りしてお互いの力を奪い合う。

誰かがほんの少しテコのような棒を、押し込んで、そう、力ではなく技のようなもので、この異次元にいるかのような私たちを元の世界に戻してくれないか・・・。

第三者の力を心から必要と感じ、ネットでもう1度「ふとうこう」の検索をはじめました。
外出を嫌い自分の都合以外は外に出ない息子を、連れて行かなければいけない機関では無理があります。
そんな視線で私はやっと「訪問」という文字に出会いました。
家にいてカウンセラーが来てくれる。
FHE・エンカレッジ・ペアレンツキャンプ・・・この3機関がはっきり姿を現しました。
もう迷いは1つもありません。

エンカレッジの上野先生にお会いして支援をお願いし、訪問カウンセラーの先生が2人組でみえたのは、10月も終わる頃でした。

今まで自分のいる場所が真っ暗でどちらを向いて進んでいいのかわからなかったけれど、私の足元に進むべき道が見え、そのずっとずっと向こうには光さえ見える。
自分自身の子どもとの関わりを見直していくことで、私の意識が変わり子どもの変化に繋がっていく。

そしてついに支援を開始して2か月半、息子は本来の彼の居場所に戻って行きました。
先生方に支えられ、11か月の不登校は終わりました。

私は復学できた記念日を一生忘れはしないでしょう。
この日は新しいスタートの日ですから。
これからの継続登校、このスタートラインの眩しい光を決して忘れず歩んで行きたいのです。

今、子どもが不登校で悩み苦しんでいる方には、100の家庭に100の違った苦しみがあると思います。
私もここに書ききれなかった兄弟が背負った苦しみ、病気(ODという診断、鬱という診断)なのかという苦しみでつぶれそうでした。
ですが、こうして這い上がれた1人の子どもとその家族もいるということを、不登校にさよならを告げる1つの方法として知っていただければ幸いです






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不登校から復学支援を選んだcase〜よつばさんの場合

不登校の対応には、いろいろな道があります。
我が家は、復学支援を選びました(復学支援を知っていますか?
他の方は、どうでしょうか。
みなさん、いろいろな道を探されています。
そして、復学支援を決断された時のお気持ちはいかがだったのでしょうか?


今回、よつばさんから復学支援を決断された経緯を記事にしていただきました。
よつばさんは、現在小6の長女さんが、小5で不登校になり、その1ヶ月後には小2だった次女さんも不登校になりました。
エンカレッジに支援を依頼し、2011年6月に姉妹そろって復学されました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

【よつばさんのcase


長女は、これ!と思った事には一生懸命になる頑張り屋さん。
でも、ちょっとした事で機嫌が悪くなったり、部屋に閉じこもったり、難しいところがありました。
次女は、おっとりとした面倒見のいいタイプ。
でも、ひとりでトイレ・お風呂に入れないなど、幼いところが抜けませんでした。
私たち夫婦は自宅で別々の仕事をしています。
夫は子育てに協力的でしたが、とても心配性で神経質。
私は〆切りに追われ、娘たちと過ごせる時間が少ない事がいつも気がかりでした。

長女は小学校1年生から、次女は幼稚園年長から、それぞれ行き渋りを繰り返していました。
でも二人とも、行ってしまえば楽しく過ごして元気に帰ってきます。
この頃、夫は些細な事でもすぐに感情的になりました。
行き渋る娘たちを怒鳴って行かせようともしていました。
私はそんな夫を理解できません。
夫の前では笑えない、でも娘達といる時は笑顔でいよう。
わが家はすでに、機能不全に陥っていたと思います。

2010年4月、5年生になった長女は不調を訴えるようになります。
お腹・目・首・足、痛いところが次々と変わり、病院から教室へと送る日が多くなりました。
2年生になった次女も、朝、家のトイレから出て来なくなります。
私と登校してすぐに学校のトイレへ直行。担任の先生に手を引かれ、泣きながら教室へ行く日々でした。
長女は体の変化が大きく、父に対して反発も出ていたので、思春期に入ったのだろう、娘たちは友人関係・勉強も心配なく、不安定なのは私たちの不仲が影響していると思っていました。

2学期になっても、状況は悪くなるばかり。
お腹がいたい、気持ち悪いと言う娘たちを、私は行かせようと必死でした。
11月、長女は午前中に深く寝入るようになります。
「おとうさん、イヤ!」と訴え、表情が無くなっていき、12月には全く登校できなくなりました。
このまま休みが続く? 
まさか、わが子が不登校に? 
この時、始めてそう思いました。
私は、夫から離れなかったことを悔やみました。
でももう、ここを動くわけにいかない。長女を何とかしなくては・・・。

何冊も本を読みました。その中に、不登校を高速道路にたとえる話しがありました。
車線を降り、パーキングで一休みしているのが不登校。
また車線に戻ろうとする時、加速しないと流れには入っていけない。
加速するエネルギーをためる必要があると・・・長女には休む時間が必要なのだと思いました。

次女は朝、寝ている長女を見ながらも、頑張って登校していましたが、
2011年1月、「気持ち悪い、吐きそう」と言って全く動かなくなってしまいました。
恐れていた日が来た。
二人そろって不登校になってしまった。
悲しくても、夫と一緒には泣けません・・・私は孤独でした。

2月、長女の体調は良くなっていましたが、大きな病院の小児科・心療内科で診てもらいました。
先生からは「長女さんは病気ではない。お母さんがこうやって病院へ連れてくる事を続ける限り、長女の心の発達は始まらない。今はゆっくり休んでいい。大丈夫、自分で動く日が来るから」と。
一緒に話しを聞いていた長女は、「休んでいいって言ってたよね?」と、安心したようでした。

その頃から二人は安定期へ。
ゲーム・テレビ・パソコン。昼夜逆転。勉強は手につきません。

長女は、休日に4〜5人の友達と遊び、ピアノ・モダンバレエは続けていました。
感情の起伏が激しく家族にあたる事の多い毎日でした。
次女は友達を避け電話にも出ません。
習い事もやめました。
「わたし赤ちゃんだから、ずっとパジャマでいいの」と言って、幼い子供のような話し方になり、急激に幼児化していきました。
ほぼ同時期に不登校となった二人でしたが、全く違う状況だったのです。

私は、市の子供相談、不登校の親の会、ご自身が経験者、息子さんの不登校を自力で克服した方のところへ行きましたが、どこでも「休ませてあげて、動き出すのを待ちましょう」でした。
居場所、フリースクール、適応教室・・・娘達が行くとは全く考えられません。
小学校では月に1〜2回、副校長先生と担任の先生方、私たち夫婦で話し合う場を設けていただきました。先生方のお話しは誠意あるものでした。

春休みが終わる頃、長女は「やっぱり学校に行きたい!始業式に行く!」と言い始めます。
十分休んで元気になってきた。
今だったら戻れるかもしれない。
そうすれば、次女もきっと・・・
スムーズに行けるように一緒に準備をしました。
でも、登校できたのは始業式の日だけでした。
もう、私にはどうすることもできない・・・、無力でした。

そんなある日、『不登校 小学3年生』と打って、ネットで検索してみました。
巡りめぐって支援機関に依頼して復学した方のブログにたどり着きます。
子供を学校へ戻す? 復学って? 暗闇の中にいる私に一筋の光が差したようでした。
そのブログには、長く休んでいる子供を学校へ戻すには、たくさんの準備が必要なこと、そして、再登校しても継続するのがどれだけ大変かが書かれていました。
私は娘を自力で学校へ戻すことなどできない。
わが家にはふたり、そして性格の難しい夫もいる。

支援機関のHPや先生方の本を読んで、親が過干渉・過保護を続けたことによって、感情のコントロールができない、ストレスに弱い子供に育ててしまったのだと知りました。
おもいきって夫に相談してみました。
「学校へ戻るのが一番」その点では夫と同じ考えでした。

5月、エンカレッジの上野先生にお会いして、依頼を受けていただけることになりました。
そこで私自身、とても救われたように感じました。
これからは一人ではないと・・・。
上野先生が娘たちと話しをして下さいました。そこで分かったのは、
長女 ── 学校へ行きたいと思っていて、きっかけ待ちだった。
     家は居心地が良かった。勉強が遅れているのが不安だった。
次女 ── 家が楽しい!となっていて、問題意識が全く無い。
     行動をイメージさせて自己処理能力を高める練習が必要。

そして、私が最初に言われたのは「お母さんと次女の母子分離」でした。

夫と何度も話し合いましたが、足並みを揃えるのは難しい事でした。
上野先生からは、家庭での親のあり方を始め、娘たちへの接し方、夫への対応もアドバイスをいただきました。
私が家族に発する言葉を慎重に選ぶこと(先回り、指示、提案を控える)で、長女には少しずつ本来の笑顔が戻り、次女は一人で出来ることが増えていきました。
夫は感情的にならなくなり、余計な声かけを控え、色々と協力してくれるようになりました。
訪問の先生とメンタルフレンドさんにサポートしていただきながら、娘たちは勉強を始め、先生訪問・友達訪問と準備を進め、徐々に学校へ気持ちが向いて行きました。
6月23日、二人そろって再登校 ── 心から笑える日が来ました

私は長い間、「なぜ夫はこうなのか?」ということに捕らわれすぎて、娘達のサインをしっかり受けとめられなかったのだと思います。二人が不登校になる事で、ようやく私が変わる事ができ、そして夫も・・・。

2学期が始まって1ヶ月半、ふたりは元気に登校しています。
娘たちは、学校という社会の中で揉まれながら、沢山の経験を積んでいって欲しい。
今後、彼女たちの伸び幅がどこまで広がるのか、とても楽しみです。
毎朝のランドセル姿、保護者会出席など、普通の何でもないことが、今は嬉しく思えます。

不登校の子供達が学校へ戻れるようにと、全国を駆け回っている先生方がいらっしゃいます。
エンカレッジの親睦会、先生方の講演会後の交流会で、同じ経験をされた方々との出会いがありました。
ほんの数ヶ月前、ひとりだった私は、今は大勢の方に支えられています。
検索からブログへ、そこからエンカレッジの上野先生へ、このご縁に心から感謝しています。

今、お子さんの不登校で道を探しておられる方が、たくさんいらっしゃると思います。
いろいろある選択肢の中のひとつに、『復学支援』を加えてただけたら幸いです。
どうか、それぞれのご家庭に最善の道が開かれますよう、心から願っています。







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別室登校からの復学〜ピピコさんの場合

一口に不登校といっても、いろんな形があります。
五月雨登校・別室登校も形は違いますが完全不登校と同じように、親として辛いものがあります。我が家は、長期の完全不登校でしたが、別室登校も難しいCASEだと感じています。

ピピコさんの娘さんは、中・高一貫校に通われています。
中2の9月から別室登校になり、いろいろな道を探されました。
常に娘さんにとって最適な道を探し続けた結果、ペアレンツキャンプに支援を依頼し中3の始業式から復学されました。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

【ピピコさんのcase


現在私立中学3年生の娘は、中学2年生の9月中旬からクラスに入れなくなりました。

? 学校行事のクラスリーダーの役割をしていた最中、上手く運営できないことを先輩からは怒られ、それに対してクラスのみんなに正論を言って従ってもらえないことに爆発してしまいます。それでも数日は頑張っていましたが、最後にクラス一の意地悪な女子に言われた事に腹をたて、殴ろうとしたところを引き離されて 保健室に連れていかれました。

? もうひとつは一人のお子さんが娘にべったりになってしまい、部活も委員会も何もかも一緒でお世話をするのにキャパがいっぱいになってしまいました。

始まりはこの2点がきっかけでした。

娘は学校行事の4日前に?の事件があったため、その間は完全不登校、それからは保健室に時間をずらして遅刻・早退で行く日もあれば、朝からお腹が痛くなりトイレに90分近くこもったり、また学校にはついたが、たまたま朝礼等で大勢の生徒を見ると引き返して帰宅してしまう日が数回ありました。

親としては、娘の問題は早期に手を打てば解決できると考え、行事の翌週にはスクールカウンセラーとの面談(親のみ)をし、その後学年主任・担任とも面談をしました。(この時は?と?の外的要因で行けないのだと思っていました)

スクールカウンセラーも学校も「まだ1週間なので、本人に任せて様子をみましょう」との回答でした。また私学であり、中1〜中2の段階で素行やクラスでの協力体制がよく、問題がないので、併設高校へは最悪中3最後まで不登校でも上がれる旨話がありました。

それでも母親の私は「これは尋常ではない」と判断し、インターネットで検索して学校側との話し合いの翌週、ある復学支援機関の初回カウンセリングを受けました。

カウンセリングで「娘さんの場合は問題が複雑ではないので、3ヶ月でまた元に戻るでしょう」と言われ、藁にもすがる思いで、その翌週(丁度10月の第1週でした)から娘と週1回通いました。

そこでは 
・10月はカウンセラーが娘との信頼関係を構築するため学校の話はしない。
・11月は毎週タイプの違う心理テストを実施、少しずつ学校への話を入れる。
・12月第1週に復学日を設定(設定日は予定日の1週間前)→失敗
    第3週に復学日を設定              →失敗
と連続して教室に戻ることができませんでした。
(1月始業式での復学も失敗 計3回失敗)

10月に入ってその支援機関に通うようになった娘は『スクールカウンセラーは学校の先生に通じているのが厭だ、けど支援機関は学校とのつながりがないから行く』という理由で通い続けました。完全不登校ではなく、別室登校へと登校形態が変わっていきました。
10月末までは保健室、11〜12月は進路指導室という個室です。1月からは図書室へ他の学年、同学年の別室登校の生徒と一緒にいました。
朝は1時間遅刻し、帰りは3時間以上早退。これが定着してしまいました。

また不登校、別室登校だと試験を受けることは少ないという事を聞きました。しかし 娘は別室登校期間、定期テスト・学力テスト・休み明けテスト・学年対抗テストと あらゆるテストを、早朝生徒が来る前にタクシーで私と登校し、受けました。

娘自身は当時通っていた支援機関にも学校側にも「クラスに戻りたい」という気持ちは話していましたが、時間が経つにつれ、クラスへの壁はますます娘の中で高くなり 12月の登校刺激で失敗してからは、そのくやしさを家庭内暴力という形で表現しはじめました。
何故か友人関係は良好で、他クラスの友人なども保健室や別室に会いに来てくれたり、日曜日には遊びにいったりしていました。

私たち夫婦は再度話し合い、一度別機関に相談することも視野に入れ始めました。
12月の終わりにFHEに相談メールを送り、2010年12月31日の夜にお返事を 頂きました。そして1月6日には藤本先生とお電話でお話させていただきました。

その時に「こういうケースは難しい。テストも自分を納得させるために受けている場合もある 。別室登校も自分を納得させる為ではないか、また他の支援機関にかかっていた影響も心配。五月雨登校のくくりに入るので、専門の先生に当たってみるから24時間 待っていてください」とお話があり、私たち夫婦は驚きでいっぱいでした。

「娘は学校には行けているから、あとはクラスに入るだけかと思っていた・・」
「娘はテストを受けているから、やる気はあるんだと思っていた・・・」
「全ては外に理由があると思っていたけど、実は家庭内に問題があるのか・・」

藤本先生にご相談した翌週、 ペアレンツキャンプの水野先生をご紹介頂き、直接お電話でご相談にのって頂きました。

見解は藤本先生とほぼ同じでした。10月からの支援機関を終了してからという事でしたので、すぐに予約を取り消し、1月下旬から家庭ノートと電話カウンセリングでの支援を開始して頂きました。
(元の支援機関にも過去のお礼をお伝えし、円満に終了しました)

その中でやはり家庭に問題があることがわかり、常にアドバイスを頂きながら 過管理型の母親の私の接し方を変え、夫の父性対応を高める努力をしました。

3月下旬に水野先生が直接娘にあってくださりました。
訪問の先生方のお力を借りながら担任による家庭訪問・学校訪問(学校には行ってはいてもクラスには入れなかったので)をしていただきました。
4月の始業式、娘は半年乗ることができなかったスクールバスに一人でのり、訪問の先生が校門でサポートして下さる中、娘は旧クラスに半年半ぶりに入りました。
そして旧クラスの大掃除をクラスみんなで行い、始業式に参加し、新3年のクラスに入りました。

『教室に入る』これが、自分自身が作りあげた半年入る事のできないぐらいになってしまった高い壁でした。
支援の先生方にそっと背中を支えてもらいながら娘は自分自身で壁を乗り越えました

現在、登校から1ケ月半近くが過ぎていますが、1日も休む事も行き渋ることもなく月曜から土曜まで学校に通っています。
成績は最下位ですが、自分で少しずつ努力し、また学校の先生方も事情を理解してくださっても他の生徒と変わりなく、暖かくも厳しい指導をしてくださいます。

私たち夫婦は今回の娘の件を通じて多くの事を学びました。
このような問題が起きた時、まずは家庭内の親の対応の見直しと共に、子供自身の問題点の両方を解決していかなければいけないということです。
つまり「親が変わっても、子供自身の問題点が親だけでは解決できていなければ同じことが起こりやすい」
「子供が自身の問題点を解決しても、影響力の強い親が変わらなければまた元に戻ってしまいやすい」
この2点を同時に行わないと不登校、別室登校は長引き貴重な時間を失う事になるのではないかと思います。
上記の点は支援を受けることで教えて頂かなければわかりませんでした。

登校できたら、終わりではありません。
また娘は何かのきっかけでつまずくこともあるでしょう。
でもその時に、親が家庭内で娘の気持ちを汲み、間違っている考えの時は汲んだ上でアドバイスし、娘自身も自分で解決する力を身につけていれば、立ち上がるのは早いと思います。

私たち家族は親も子供も、よい家庭を作るために今後も支援を頂きながら学んで行きますが、やがてくる支援卒業の日の後も家庭教育を学び、実践し続ける事が重要だと思っています。

今回の娘のケースが別室登校からクラス復学にむけて悩まれている方への参考になれば幸いです







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不登校からの受験〜きのこさんの場合〜サクラ咲く

以前に、不登校から復学支援を選んだCASE〜きのこさんの場合

で、紹介させてもらったきのこさんから、高校受験の結果が届きました
今年は、受験2日目が、3年ぶりの大雪でした。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

この日の雪には、次男も大喜びでした
長男は専願のため、私立の面接日でした。
前日の試験のほうは友人と待ち合わせて行き問題なく終わったのですが、朝からの降り積もった雪に慌てたのは私でした

自転車でいくつもりの長男に父親に車で駅まで送ってもらうように言うと、
うっとおしそうな顔で「えー!いらんわ!◯◯と自転車で行くし」

私「す◯ってこけたらどうするの!?」と言ってはいけない言葉を言ってしまいそうになり、(言ったかも…記憶にない)少し嫌な雰囲気に

結局主人が車で友人の家までまわり、ふたりを駅まで送りましたが、先回りしてしまった自分に朝から反省でした
先回りするとやはりでるのは反発ですね

あとはただ祈るのみで…昨年経験された方はこんな感じだったんだな…と思いながら結果を待っていました。
今朝知らせが届き、無事合格でした。
息子が喜ぶとなりで…私は涙がでてきました。

支援の先生方や応援してくださったみなさん、息子に関わってくださった方々のおかげで、学校にいけなかった息子が受験と向き合うことができました。
感謝の気持ちでいっぱいです。
初めて自分から勉強して努力することもできました。

訪問の先生方には通知を受け取ってすぐにお電話させていただいたようです。
「メールより電話のほうがいいと思った」らしいです

息子は「今まで僕の人生って、悪いことしか起こらないって思ってきたけど、そんな事ばっかりじゃないんやなって初めて思った」
と言ってました。

そんな風に思ってきたのか…引きこもっていた日々も、
それを乗り越えてからもそんな風に感じてたんだなって、あらためて思いました。

これからまた、大きな山にぶつかるでしょう。
でもそれを乗り越えていける力をつけれるように、親として見守っていきたいと思います。





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不登校から復学支援を選んだcase〜かのんさんの場合

不登校の対応には、いろいろな道があります。
我が家は、復学支援を選びました(復学支援を知っていますか?
他の方は、どうでしょうか。
みなさん、いろいろな道を探されています。
そして、復学支援を決断された時のお気持ちはいかがだったのでしょうか?

本記事は、前述の『復学支援を選んだ体験談』の記事にいただいたコメントです。
今、不登校で道を探されている方に少しでも参考になればと思い、
ご本人の了解を得て、もう一度掲載させてもらっています

かのんさんは、3人兄弟(中2・小5・小2)のお母さんです。
次男さんが小3で不登校になり支援を受けられ3ヶ月で復学。
継続登校に関しての不安・4月から小学校に入学する娘さんと中学校に入学する長男さんにも強い不安を感じられ、子どもさん達への支援と家庭教育の必要性を感じペアレンツキャンプで支援を受けておられます。


ーーーーーーーーーーー
【かのんさんのcase 



私は、猪突猛進タイプなので、本や、ホームページで復学支援機関の事を知り、「これしかない!」とまっしぐらでした。
でも、まず第一に、慎重派の夫と意見が合わずに、「お願いだから、これに懸けさせて」と言ったことを覚えています。
支援をお願いしてからは、夫も最大限に協力してくれましたが、夫を説得し、賛同を得るまでが辛かったです。

うちは小3の夏休み明けに休み始めました。
入学式から泣いて、毎日送っていった次男。
それでも、欠席は1日もありませんでした。
「前期皆出席」「後期皆出席」「年間皆出席」の賞状をいただき嬉しそうな次男に、
『この喜びを味わったのだから後は頑張ってくれるだろう』と思っていました。
2年生はスムーズに登校。
3年生の5月から行き渋りが始まりました。
それでも「皆出席」にこだわり、「やっぱり行く」という次男の気持ちに応え、
『今日楽しければ明日からは行くだろう』とかすかな期待を持ち、学校へ送って行きました。
そして、気持ちが向けば教室へ、泣いて拒否されれば養護の先生にご挨拶をして帰宅する日々となりました。
「あいつ、授業は受けたの?」「おにいちゃん、学校いったの?」4年の長男と年長の娘の問いかけも私には辛いものでした。

夏休み明けの9月、『こんな毎日で何が皆出席なんだろう。本当に頑張って登校している子に申し訳ない。』と思った私は、行くのが嫌だと泣いて部屋にいる次男に、「授業を受けないで帰ってきても登校したことにはならないよ。ちゃんと授業を受けるなら送って行くから言ってきて」と言ってリビングで待っていました。
そして、夕方長男が帰宅し…。次男は「ああ〜もう皆出席はなくなった」と泣き、翌日から学校へ行かなくなりました。

次男は不登校になってすぐはチャレンジなどをやっていました。
でも、すぐに飽きてしまいました。
学校に行けないことに罪悪感を持っていた次男は、私がいる間はテレビもゲームもせずに読書かたまごっち(娘に世話を頼まれているという大義名分があったからでしょう)の毎日でした。
食べることと、兄妹の帰りを待つことだけが楽しみだった次男の毎日。
あのままでいても、わたしはたぶん次男に対し「愛情深く接すること」「全てを、ありのままを受け入れること」はできませんでした。
そして、次男もなにも学ぶことがないままに毎日を過ごし、ストレスのはけ口はさらに強く兄妹に向かっていったことと思います。

休んでいる間に、何人かのお友達から、電話や手紙をもらいました。
電話は途中からはベッドににげてしまい、出ませんでした。
最初のころお友達の電話に、リビングから離れた廊下で
「あのね、僕、学校行くの嫌になっちゃったんだよ。ばかみたいでしょ。」という次男の言葉に私は涙をこらえることができませんでした。

復学後すぐは、泣いたり・荒れたり・生き渋ったり。
私は『せっかく戻れたのに‥』とため息をつくこともありました。
けれど、今はだいぶ逞しくなりました。そして、心配性ではあるけれど、優しい息子に戻りました。
あのまま家にいたら、『学校へ行けないオレ』という罪悪感を持ち、休みの日でも家から出られなかった次男は、さらに精神的にも引きこもっていたと思います。
絶対にかないっこない長男にとげとげしい言葉のやりとりの後、向かっていき、とっくみあいのケンカをし、妹にちょっかいを出して泣かせていたあの頃。兄弟のバランスはさらに崩れていたと思います。

1年半前次男は、学校へ行き渋って夜泣きをし、うなされ、過呼吸発作のようなものを起こしていました。
復学してからもしばらくは心配事があると泣いたり、ふてくされたりしていました。
それが、今ではあのころと比べものにならないほど逞しくなりました。
少々体調が悪くても「学校休みたくないんだよ。」と言い、登校していきます。

支援機関の先生にご指導いただき、親が変わり、子が変わり‥。
次男が学校へ行けなくなったことで、「学校へ行くことが当たり前」と思っていた私は、大きなショックを受けましたが、このことをきっかけに、これまでの家庭教育を反省し、今後に生かせるようになったことに感謝しています。

これから、中学入学という大きなハードルも控えていますが、次男も、私も、いぜんの私たちではありません。
この自信をつけさせて下さった支援機関の先生、訪問の先生、ブログを通じて共感し合い、励まし合えるお母さん方に感謝しながら、毎日を過ごしていきたいと思っています
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不登校から復学支援を選んだcase〜くるみさんの場合

不登校の対応には、いろいろな道があります。
我が家は、復学支援を選びました(復学支援を知っていますか?
他の方は、どうでしょうか。
みなさん、いろいろな道を探されています。
そして、復学支援を決断された時のお気持ちはいかがだったのでしょうか?

くるみさんはエンカレッジで復学されました。
長女さんは、小4から不登校。小6の7月に復学し、現在中1
次女さんは、小2から不登校。小3の7月に復学し、現在小4


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【くるみさんのcase

娘がある日突然学校に行けなくなったのは、小4の秋でした。
生気の無い顔で、布団から出ることもできず・・食欲もありませんでした。
ただの風邪だと思いましたが、あっという間に1週間が過ぎ・・。
引きずって学校へ連れて行こうとしますが、泣いて「今は行けない!」と 訴える娘に親は混乱するだけでした。
その後、体調不良(頭痛・腹痛・身体の痛み)を訴える娘を病院へ連れていくと 【起立性調節障害(OD)】です。と診断が出ます。
そして、「無理をせず・・でも調子が良くなったら学校に行っていいですよ」と 病院から言ってもらいます。
【起立性調節障害(OD)】と病名がつき、学校に行けない理由もでき、正直ホッとしました。
「だって・・病気だから仕方ない」
それからは、【OD】が良くなるように、薬を飲んだり・・腕立てが良いと言われれば 腕立てをしてみました。
【OD】を治すことに気持ちが向きました。

その後、少し状況は好転し 時々は放課後の学校に顔を出すようになりました。
小5になり時々は 保健室登校や放課後登校が出来るようになります。
「この調子で行けば、学校に戻れそうだ!」と一時は思いました。

そして「こんな行事があるから行ってみる?」など娘に声をかけ続けました・・すると
娘の【OD】症状が一気に悪化したのです。
頭痛・吐き気・めまい・・・顔色も悪く、フラフラでした。
とても学校に行ける状況ではありませんでした。

でも娘も「学校に行けるなら行きたい」と言っている。
『行きたいけど行けない・・。』
どうして、頑張っているのに行けないのか?
【OD】だから仕方ないのか・・?

こんなジタバタしているうちに、次女(小2)も体調不良を訴え不登校になります。
なんで家だけ??なんで二人も??

教育相談にも行きました。
沢山話を聞いていただき、私の混乱した頭が徐々に整理されて いきました。
一方、娘たちは週に1〜2回は学校に顔を出していました。
ただし、ほとんどが保健室や相談室への登校でした。

あっという間に1年がたってしまいました・・いつになったら行けるのか?
そして参加しているのは主に行事だけ。
どうやって、何をしたら 学校にいけるのか?
学校の先生方も娘が学校に来やすいように、配慮もしてくれているのに・・・。

フリースクールも考えました。山村留学も薦められました。
でも時々でも学校に行けたときの娘の明るい表情を思いだすと、どちらも違う気がしました。
学校に行きたいのに、行けない・・。

不登校から1年ちょっと経った時、『復学支援』で学校に戻った方のブログに出会います。
衝撃でした。
家庭での対応を見直すことによって、復学へつなげていく。
素晴らしいなという思いと共に、でもうちの子は【OD】。
人の手を借りてまでして 学校に戻すのは子どもにとっては厳しいのでは・・という思い。
とても迷いました・・迷ったまま2〜3ヶ月が過ぎました。
春には長女は6年生です。本当にこのままでいいのか?

子どもと話し合いました。
学校に行くことをどう思うか?
今のままでいいと思うか?
子 『学校に行ったほうがいいと思うし、出来れば行きたい・・
   でも行けないこのままじゃダメなのも分かっているけど、
   もうどうしたらいいのか分からない。』
母 「ママも色々頑張って学校に協力お願いしたりしたけど、でもまだ状況は変わらないね。
    ○○が学校行きたくて・・誰か助けてくれるなら、助けてもらいたい?」
子 『そういう人がいるなら、助けてもらいたい』

娘にとって、場合によっては厳しい選択になるかもしれない・・でも今の状況を続けるにはもう限界に来ている、一度腹をくくって相談してみよう。
そして小6の春、復学支援機関である 『エンカレッジ』に相談します。
長女が不登校になって1年半がたっていました。

不登校期間が長いことが心配でしたが、その後復学支援を受けることになり、日々の家庭の対応をアドバイスいただきました。
子どもへの過干渉、提案、指示を控えることを実践していきました。
すると、子どもの【OD】の症状が軽くなっていったのです。
表情も明るくなり、親の指示がなくても 自ら考え行動することが増えていきました。
そして、支援開始から2ヶ月半で娘二人は学校に行きました。

勿論、緊張も大きく 大変な思いもあったと思います。
学校に行けば、楽しいだけじゃなく、イヤなこともあります。
それをひとつひとつ経験し、対処していくことで子どもに自信がついていきました。

そして1年経った今も元気に学校に行っています。
あれだけ心配した【OD】の症状はほとんどなくなりました。
飲み続けていた薬も、自分から「もう飲まなくてもいいや! 最近飲み忘れてるけど
体調も大丈夫だし、平気みたい」と言ってやめました。
【OD】の症状は人によって種類も様々だし、大変さも違うと思うので他の方々に
これが当てはまるとは限りませんが、家は1年半【OD】の娘と向き合ってきて、
娘が身体の不調という形で、親子のバランスの悪さをアピールしてくれたんだ・・と感じています。
それを気づかせてくれた娘たちに感謝し、支えてくれた方々に感謝しています。

こんなつたない文章ですが、お付き合い下さり、ありがとうございました。
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不登校から復学支援を選んだcase〜ふらわぁさんの場合

不登校の対応には、いろいろな道があります。
我が家は、復学支援を選びました(復学支援を知っていますか?
他の方は、どうでしょうか。
みなさん、いろいろな道を探されています。
そして、復学支援を決断された時のお気持ちはいかがだったのでしょうか?

本記事は、前述の『復学支援を知っていますか?』の記事にいただいたコメントです。
今、不登校で道を探されている方に少しでも参考になればと思い、
ご本人の了解を得て、もう一度掲載させてもらっています

ふらわぁさんは、エンカレッジで復学されました。


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【ふらわぁさんのcase


我が家は小3での不登校、復学でした。
娘の通った小学校では3,4年で縦割りの総合学習「実りの時間」があります。
田植えをしてお米を育て収穫し、秋祭りでおもちをついて全校生徒や保護者、地域の方に食べていただきます。

小3年の5月から休み始めた娘は、田植え前の下準備に1回参加しただけで、秋祭りが終わった後復学しました。

4年の時は順調に継続登校を続けながら、田植えの日は泥だらけの足袋や服を持ち帰ります。
夏休みには稲の様子を見に行ったりし、
秋祭りでは笑顔でたくさんの人におもちを配っていました。

その姿を見た時、3年の時にはこの経験を出来なかったんだという悲しみと、
4年では初めから最後まで経験することが出来てたくさんの人に喜んでもらえる場面に我が子がいる嬉しさを同時に感じていました。

支援を受け、親のあり方や子どもへの接し方を改め、
子どもの学校へ行きたい気持ちを引き出していただき復学出来たことで、
子どもは学校で様々な行事や毎日の学校生活でたくさん成長して帰ってきます。
その成長した姿を見ながら、親も常に勉強していくことになりますね。

復学後の継続登校により、親も子もそれぞれ成長してきていることを4年半の年月を過ごしてきて感じます。

普段、不登校の頃のことは家で話題にしませんが、1度だけ娘が話したことがあります。
娘は、『学校へ行かなかった時を後悔している』
『学校で、自分が休んでいた間の出来事が話題になった時に学校へ行っていたら良かったと思うんだ』と言っていました。

娘が失ってしまう学校生活の時間を、復学支援を受けることで可能な限り少なくすることが出来ました。
その後の学校生活、行事等にみんなと一緒に参加することで大きな成長を見せてくれています。

不登校が始まったころ、いろいろな本を読みました。
「待ちましょう、甘えさせてあげましょう」と書いてありました。
たくさん甘えさせて子どもの願いを聞くようにしました。

その結果1カ月経たないうちに小3の子が、まるで幼稚園の子のようになってしまいました。
復学支援を受け始め親の接し方を変えることで、家の中で自分で考え行動することがだんだん出来るようになってきました。

再登校し学校生活を送るなかで、家の中では経験することのできないたくさんの成長のチャンスに出会って、学年相当の自立心と協調性をを身につけてきました。

今年中2になり部活では先輩になった娘について1年生のお母さんから、優しく教えてくれたって言ってたと聞きました。
『あぁ、学校に戻れて学校の中で成長してこれて良かったなぁ〜』としみじみ思いました。
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不登校から復学支援を選んだcase〜ティカさんの場合

不登校の対応には、いろいろな道があります。
我が家は、復学支援を選びました(復学支援を知っていますか?
他の方は、どうでしょうか。
みなさん、いろいろな道を探されています。
そして、復学支援を決断された時のお気持ちはいかがだったのでしょうか?

本記事は、前述の『復学支援を知っていますか?』の記事にいただいたコメントです。
今、不登校で道を探されている方に少しでも参考になればと思い、
ご本人の了解を得て、もう一度掲載させてもらっています

ティカさんは、エンカレッジで復学されました。息子さんが小5で不登校になり、小6で復学されました。
なぜ『復学』が大事だと思ったのかを書かれています。
ご自分のブログでも発信されています(一歩ずつ前へ)


ーーーーーーーーーーー
【ティカさんのcase


子どもは親が亡くなっても生きていかなければなりません。
『社会の中で独り立ちできるように送り出してあげること。』それが親の最終責任だと思います。

不登校を招くということは、そのままの状態では社会の中で生きていけないことだと思います。
子どもが社会の中で適合できるよう、まず家庭の中で下準備。
そして、次には学校に戻り、その中で揉まれいろんなことの術を学ぶ。
そしてやっと社会に送り出してあげられるのだと思います。

不登校は学校に行けない状態なので、学校に戻せばそれで解決のように捉えられ、どうやって学校に戻すかと方法論ばかりに焦点が当てられがちです。

でも、学校に行けた時点ではあくまでも通過点。
実際には学校に戻って登校が安定するまでの期間の方が長い道のりだと思います。
それは継続登校の段階に入っている方は皆、お感じになっていることですよね。

「学校に行ける状態になるまで待ちましょう・・・」その考えの方が世間では一般的なようです。
でも、何時まで待ったらいい?その先はもっともっと長いです。
学校ではいろんな行事や活動、友達との関わりの中で様々な貴重な体験ができます。
不登校が長くなればなるほど、その貴重な体験を奪い、そこで成長できるチャンスまでも失ってしまいます。
家にいて何が学べるのか?

私は、子どもは皆学校に戻りたいと思っていると信じています。
体調不良?学校になんて行かなくていいやって思っていたら体調不良を起こすでしょうか?行きたいのに行けないから体調に出るのだと思います。

本当の子どもの気持ちに気づいてあげてほしい。
そして少しでも早く学校に戻してあげてほしい。
短期復学し元気に学校へ通っているお子さんの姿・・・見ていただきたいなと思います
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不登校から復学支援を選んだcase〜どんぐりさんの場合〜

不登校の対応には、いろいろな道があります。
我が家は、復学支援を選びました
コチラの記事→復学支援を知っていますか?

他の方は、どうでしょうか。
みなさん、いろいろな道を探されています。
そして、復学支援を決断された時のお気持ちはいかがだったのでしょうか?

本記事は、前述の『復学支援を知っていますか?』の記事にいただいたコメントです。
今、不登校で道を探されている方に少しでも参考になればと思い、
ご本人の了解を得て、もう一度掲載させてもらっています
どんぐりさんはFHEで復学されました。中2の3学期での復学でした。

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【どんぐりさんのcase

私は、復学支援をうけるまで少し回り道をしました。
初めは学校に行けなくなった子供を主人と共に責め、本人を変えようとしました。
同時に理由をしつこく聞きだそうとし、自分はこうして不安を乗り越えたと価値観を押し付けました。

子供は心身症のような症状をだし始め、
学校からの紹介で市の相談機関に行ったり、
スクールカウンセラーの先生に話しを聞いて頂いたり、
本を読んで調べたり…
また催眠療法を受けたら本人が変わるかと私だけが試しに催眠をかけてもらったりもしました。
(私の場合は本格的にではなく軽くかけて頂いたのでかかりませんでしたが…)

やがて、相談機関でおっしゃってくださった
「今、子供さんは成長されています」と言う言葉に救われ、
親が変わる(不登校を一旦認める)という方向にいき、子供を見守っていこうと思いました。

子供は、昼夜逆転し、ゲーム三昧の日々を過ごし一時見せていた心身症の症状はナリを潜めだしたのでホッとしました。
「元気になったら登校刺激をかけてください」
こう相談機関から言われていましたが学校の話しをすると子供は苦しそうです。

やがて、学校に行かなくてもいろんな人生があると思い子供にそれを告げました。
「そのままのあなたが大事だよ」と
「学校に無理矢理行けって言ってごめんね」と子供に伝えました。

子供は言いました。
「お母さんがそんな事言うと思ってなかった。僕、学校行くわ」
でも、いつまでたっても行けませんでした。

私は「いいよ。いろんな人生があるし」と再度子供に伝え、
不安がる家族を説得しながら、またゲーム三昧の日々を送る子供を見守っていました。

その内、「死にたい」「もう僕の将来はない」などの否定的な言葉を並べる日が続きました。
そして、ある日私の気持ちを変える決定的な言葉を言いました。
「お母さん、僕、学校行きたいのに…行かれへん!」
長く休むうちに、子供の不安が膨らんでいったのでしょうか。

私は親が変わると言うのは不登校を認めるというのではなく、
親の子への接し方を変えるべきだったのかなと思いました。

自分の育て方や家族の関わり方はどうだったかと振り返る事で家族療法に興味を持ち、
復学も視野にいれながら色々なサイトを検索しました。
そこでFHEや復学された方々のブログと出会う事ができました。

いえ、始めの頃FHEのホームページには出会っていたのですが、私の心がそっちを向いていなかったんでしょう。

心が決まって、また家族と相談して藤本先生とお会いしてから、学校に復学支援を決めたことをお話しさせて頂きました。
先生方は戸惑っておられました
「そういう機関を使って復学された方を今まで知りませんので・・」と。
お金の事も心配してくださり最後まで市のフリースクールや別室登校を薦めてくださいましたが、私は藤本先生とお会いして気持ちは固まっていました。

先生方に言いました。「今までされた方がいないなら尚更の事、復学できたのなら今同じ状況の方にこんな方法もあると先生方から言ってあげてほしいし、ダメだったらそれで私は勉強代を支払ったと思えばよいことなので後から先生方の参考にして頂けたらと思います」と。

その後、訪問の先生の学校訪問があり、学校の先生方も色々協力してくださいました。
訪問の先生のおかげで子供自身も友人とも関わっていく事ができるようになりました。
本人の弱い部分は、藤本先生が引き締めてくださいます。

今復学してから1ヵ月以上が過ぎ、子供は毎日頑張って学校に通っています。
失敗もしますし、勉強にもついていけてないし、友達と色々あって悩んだりもしてるようですが…もう「死にたい」とは言いません。

ゲームをしながら何も考えていないようで、心の底で死を考えていた我が子が、今学校で揉まれながらも、あの頃の歪んだ笑顔ではなく本当の笑顔で笑っています。

まだこれから継続登校という試練を乗り越えなければなりませんが
でも私には乗り越えていけるという確信があります。前を行くちゃろさん達先輩方の歩かれた後を見ていますから…

色んな人生があるのは本当です。
確かに学校に通わなくても、積極的に不登校を選んだ子なら自分で道を切り開いていくでしょう。
でもうちの子のように行きたいのに行けなくて苦しんでいる子供さんの場合は、
是非ともお母さんに復学支援というものがあるんだという事もわかって頂きたいです。

同じ苦しみを経験されている親子さんが少しでも多く救われますようにと願っております。
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