不登校の対応には、いろいろな道があります。
我が家は、復学支援を選びました(復学支援を知っていますか?
他の方は、どうでしょうか。
みなさん、いろいろな道を探されています。
そして、復学支援を決断された時のお気持ちはいかがだったのでしょうか?


今回、よつばさんから復学支援を決断された経緯を記事にしていただきました。
よつばさんは、現在小6の長女さんが、小5で不登校になり、その1ヶ月後には小2だった次女さんも不登校になりました。
エンカレッジに支援を依頼し、2011年6月に姉妹そろって復学されました。

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【よつばさんのcase


長女は、これ!と思った事には一生懸命になる頑張り屋さん。
でも、ちょっとした事で機嫌が悪くなったり、部屋に閉じこもったり、難しいところがありました。
次女は、おっとりとした面倒見のいいタイプ。
でも、ひとりでトイレ・お風呂に入れないなど、幼いところが抜けませんでした。
私たち夫婦は自宅で別々の仕事をしています。
夫は子育てに協力的でしたが、とても心配性で神経質。
私は〆切りに追われ、娘たちと過ごせる時間が少ない事がいつも気がかりでした。

長女は小学校1年生から、次女は幼稚園年長から、それぞれ行き渋りを繰り返していました。
でも二人とも、行ってしまえば楽しく過ごして元気に帰ってきます。
この頃、夫は些細な事でもすぐに感情的になりました。
行き渋る娘たちを怒鳴って行かせようともしていました。
私はそんな夫を理解できません。
夫の前では笑えない、でも娘達といる時は笑顔でいよう。
わが家はすでに、機能不全に陥っていたと思います。

2010年4月、5年生になった長女は不調を訴えるようになります。
お腹・目・首・足、痛いところが次々と変わり、病院から教室へと送る日が多くなりました。
2年生になった次女も、朝、家のトイレから出て来なくなります。
私と登校してすぐに学校のトイレへ直行。担任の先生に手を引かれ、泣きながら教室へ行く日々でした。
長女は体の変化が大きく、父に対して反発も出ていたので、思春期に入ったのだろう、娘たちは友人関係・勉強も心配なく、不安定なのは私たちの不仲が影響していると思っていました。

2学期になっても、状況は悪くなるばかり。
お腹がいたい、気持ち悪いと言う娘たちを、私は行かせようと必死でした。
11月、長女は午前中に深く寝入るようになります。
「おとうさん、イヤ!」と訴え、表情が無くなっていき、12月には全く登校できなくなりました。
このまま休みが続く? 
まさか、わが子が不登校に? 
この時、始めてそう思いました。
私は、夫から離れなかったことを悔やみました。
でももう、ここを動くわけにいかない。長女を何とかしなくては・・・。

何冊も本を読みました。その中に、不登校を高速道路にたとえる話しがありました。
車線を降り、パーキングで一休みしているのが不登校。
また車線に戻ろうとする時、加速しないと流れには入っていけない。
加速するエネルギーをためる必要があると・・・長女には休む時間が必要なのだと思いました。

次女は朝、寝ている長女を見ながらも、頑張って登校していましたが、
2011年1月、「気持ち悪い、吐きそう」と言って全く動かなくなってしまいました。
恐れていた日が来た。
二人そろって不登校になってしまった。
悲しくても、夫と一緒には泣けません・・・私は孤独でした。

2月、長女の体調は良くなっていましたが、大きな病院の小児科・心療内科で診てもらいました。
先生からは「長女さんは病気ではない。お母さんがこうやって病院へ連れてくる事を続ける限り、長女の心の発達は始まらない。今はゆっくり休んでいい。大丈夫、自分で動く日が来るから」と。
一緒に話しを聞いていた長女は、「休んでいいって言ってたよね?」と、安心したようでした。

その頃から二人は安定期へ。
ゲーム・テレビ・パソコン。昼夜逆転。勉強は手につきません。

長女は、休日に4〜5人の友達と遊び、ピアノ・モダンバレエは続けていました。
感情の起伏が激しく家族にあたる事の多い毎日でした。
次女は友達を避け電話にも出ません。
習い事もやめました。
「わたし赤ちゃんだから、ずっとパジャマでいいの」と言って、幼い子供のような話し方になり、急激に幼児化していきました。
ほぼ同時期に不登校となった二人でしたが、全く違う状況だったのです。

私は、市の子供相談、不登校の親の会、ご自身が経験者、息子さんの不登校を自力で克服した方のところへ行きましたが、どこでも「休ませてあげて、動き出すのを待ちましょう」でした。
居場所、フリースクール、適応教室・・・娘達が行くとは全く考えられません。
小学校では月に1〜2回、副校長先生と担任の先生方、私たち夫婦で話し合う場を設けていただきました。先生方のお話しは誠意あるものでした。

春休みが終わる頃、長女は「やっぱり学校に行きたい!始業式に行く!」と言い始めます。
十分休んで元気になってきた。
今だったら戻れるかもしれない。
そうすれば、次女もきっと・・・
スムーズに行けるように一緒に準備をしました。
でも、登校できたのは始業式の日だけでした。
もう、私にはどうすることもできない・・・、無力でした。

そんなある日、『不登校 小学3年生』と打って、ネットで検索してみました。
巡りめぐって支援機関に依頼して復学した方のブログにたどり着きます。
子供を学校へ戻す? 復学って? 暗闇の中にいる私に一筋の光が差したようでした。
そのブログには、長く休んでいる子供を学校へ戻すには、たくさんの準備が必要なこと、そして、再登校しても継続するのがどれだけ大変かが書かれていました。
私は娘を自力で学校へ戻すことなどできない。
わが家にはふたり、そして性格の難しい夫もいる。

支援機関のHPや先生方の本を読んで、親が過干渉・過保護を続けたことによって、感情のコントロールができない、ストレスに弱い子供に育ててしまったのだと知りました。
おもいきって夫に相談してみました。
「学校へ戻るのが一番」その点では夫と同じ考えでした。

5月、エンカレッジの上野先生にお会いして、依頼を受けていただけることになりました。
そこで私自身、とても救われたように感じました。
これからは一人ではないと・・・。
上野先生が娘たちと話しをして下さいました。そこで分かったのは、
長女 ── 学校へ行きたいと思っていて、きっかけ待ちだった。
     家は居心地が良かった。勉強が遅れているのが不安だった。
次女 ── 家が楽しい!となっていて、問題意識が全く無い。
     行動をイメージさせて自己処理能力を高める練習が必要。

そして、私が最初に言われたのは「お母さんと次女の母子分離」でした。

夫と何度も話し合いましたが、足並みを揃えるのは難しい事でした。
上野先生からは、家庭での親のあり方を始め、娘たちへの接し方、夫への対応もアドバイスをいただきました。
私が家族に発する言葉を慎重に選ぶこと(先回り、指示、提案を控える)で、長女には少しずつ本来の笑顔が戻り、次女は一人で出来ることが増えていきました。
夫は感情的にならなくなり、余計な声かけを控え、色々と協力してくれるようになりました。
訪問の先生とメンタルフレンドさんにサポートしていただきながら、娘たちは勉強を始め、先生訪問・友達訪問と準備を進め、徐々に学校へ気持ちが向いて行きました。
6月23日、二人そろって再登校 ── 心から笑える日が来ました

私は長い間、「なぜ夫はこうなのか?」ということに捕らわれすぎて、娘達のサインをしっかり受けとめられなかったのだと思います。二人が不登校になる事で、ようやく私が変わる事ができ、そして夫も・・・。

2学期が始まって1ヶ月半、ふたりは元気に登校しています。
娘たちは、学校という社会の中で揉まれながら、沢山の経験を積んでいって欲しい。
今後、彼女たちの伸び幅がどこまで広がるのか、とても楽しみです。
毎朝のランドセル姿、保護者会出席など、普通の何でもないことが、今は嬉しく思えます。

不登校の子供達が学校へ戻れるようにと、全国を駆け回っている先生方がいらっしゃいます。
エンカレッジの親睦会、先生方の講演会後の交流会で、同じ経験をされた方々との出会いがありました。
ほんの数ヶ月前、ひとりだった私は、今は大勢の方に支えられています。
検索からブログへ、そこからエンカレッジの上野先生へ、このご縁に心から感謝しています。

今、お子さんの不登校で道を探しておられる方が、たくさんいらっしゃると思います。
いろいろある選択肢の中のひとつに、『復学支援』を加えてただけたら幸いです。
どうか、それぞれのご家庭に最善の道が開かれますよう、心から願っています。







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